Aug 19, 2009

職員研修のOJTやOFF - JT

従業員の教育は、OJTやOFF - JTというものがあります。 OJTは、職場での実際の業務に従事しながら研修を行います。研修終了後、順調に仕事に動くことができるという利点があります。 OFF - JTは、外部からの業務と関係のない講師の下で研修を行います。高校と大学を卒業した人々は、社員研修で社会人としての心構えを学ぶことです。
学生と社会人は、勉強や仕事時の印刷資料を使用することが非常に多いので、その管理をすることは非常に重要です。その際、クリアファイルを使用すると、非常に便利です。クリアファイルの印刷をジョンリヘヅには、使用したいときすぐに印刷を取り出すことができます。そして、プリントをなくさないようにするための保存に便利です。
 ◇「早く家族の元へ」…かなわぬ現場
 今なお1万5000人以上の行方不明者がいる東日本大震災。捜索などのため、道警はこれまでに延べ約900人の警察官を被災地に派遣し、4日現在で71人の遺体を収容した。捜索隊は今も、がれきの山や泥水と化した海水と苦闘しながら活動を続けている。被災地から帰った現場指揮者に現場の状況を聞いた。【吉井理記】
 見えるのは一面、茶色のがれきだけ。「荒涼とした光景に恐怖感すら覚えた。一つの町がなくなる現実は『悲惨』という言葉で言い尽くせない」。岩手県内で157人の捜索隊を指揮した道警警備課次席の吉川裕治さん(51)は、巨大津波に襲われた沿岸部を初めて目にした時の印象を、こう語る。
 吉川さんは道警捜索隊の第2陣として3月17日に岩手入り。翌日から宮古市や山田町で活動した。
 既に陸上自衛隊が入っており、重機で一部道路のがれきは撤去されていたが、家屋の残骸は多くがまだ手つかず。捜索隊は陸自に家の屋根などをどけてもらった後、手でがれきをかきわけて不明者を捜した。突き出したクギで何人もがけがをし「手作業の限界を感じた」という。
 重点的に捜索する箇所を、警察や消防、自衛隊、自治体で協議をしたが、どこの家が流され、誰が不明なのか、詳しい情報が届かない。もどかしさを感じながらも、3日間で19遺体を搬出し、遺族に引き渡した。宮古市田老地区では、津波に押し流された民家のがれきから、乳児を胸に抱いたまま息絶えた若い母親の遺体が見つかった。行方不明だった宮古地区消防本部職員の姉だった。
 福島県では25?29日、道警機動隊約200人が相馬市と新地町で活動した。放射能漏れ事故を起こした福島第1原子力発電所からは、北に約50?60キロの距離。隊員は腰までの泥水につかり、線量計の数値を気にしながら捜索を続けた。
 「特に相馬市の南部は、浸水がひどく手がつけられなかった」と機動隊長の西川寿典さん(51)は振り返る。お客様の声:不動産担保ローン名古屋←とは自衛隊に加えて民間の重機も投入されたが、破壊の規模から見れば、その姿はあまりに頼りなげだった。
 撤収日の29日午後、新地町で男の子の遺体が発見された。父親は捜索隊が現地入りした25日から、流された自宅近くで次男をずっと捜し続けていた。妻と長男は、亡きがらとなって見つかっていた。
 ティッシュでぬぐった泥の下から現れたのは、4歳の息子の顔。男性はひとしきり名前を呼んだ後、隊員に「見つけてくださり、ありがとうございます」と頭を下げたという。
 5日間で収容した遺体は10体。「冷たい水や泥に埋もれたままの人は多い。早く家族の元に帰してあげたいが、なかなかそれがかなわない現場だった」(西川さん)。道警は不明者の捜索を当面続ける予定で、吉川さんも現在、再び被災地に入っている。

4月6日朝刊

 ◇被災した新学生、新たなスタート
 ◇周囲から背中押され 「父の菓子店を継ぐ」
 北星学園大(札幌市厚別区)の経済学部に5日、東日本大震災で被災した山内俊哉さん(18)が入学した。宮城県南三陸町の自宅は流され、父が経営する和洋菓子店の工場や店舗も壊滅的な被害を受けた。いったんはあきらめた進学を周囲の支えで果たし「しっかり勉強して、父の後を継ぐ」と決意した。
 推薦で進学を決めていた山内さんは、地震の日、父正浩さんの店の手伝いをしていた。大津波警報が発令され、両親と車で高台の小学校に避難すると、間もなく眼下の町が波にのまれた。「この先どうなるのか……」。その晩は、校庭に止めた車の中で過ごした。
 家族は全員無事だったが、翌日に高台を下りると、自宅と正浩さんで3代目になる和洋菓子店の工場は、跡形もなくなっていた。県内に5店舗あった小売店も2店が大きく被災し、女性店長は行方不明になった。
 盛岡や仙台の親類宅に身を寄せる避難生活。学費を払えるめどもなく、進学の夢は断念したが、2週間後、正浩さんの携帯電話に大学から連絡が入った。山内さんが13年前から地元で「YOSAKOIソーラン」を続けている関係で知り合った札幌の男性が、心配して大学に携帯の番号を知らせてくれたおかげだった。
 事情を説明すると、大学側は授業料免除と入学金の返還、奨学金の支給を申し出た。「お前が大学に行けるというだけで元気になれる。頑張っておいで」。父の言葉で山内さんの気持ちは固まった。
 5日の入学式。流されてしまったスーツの代わりを親類から借りて袖を通した。行方不明の友人や避難所の人のことを考えると「普通に生活していていいのか」と悩みもする。でも、両親や周囲の恩に報いるためには、ここで頑張るしかない。<<cfdって何?「いただいた機会を生かして、経営学を勉強したい」と前を向いた。【片平知宏】

4月6日朝刊

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