Feb 19, 2011
ウォーターサーバーのおかげで育児が楽に
私は、ウォーターサーバーを始めたきっかけは、いとこが利用して良いと教えてくれたからです。いとこは、ウォーターサーバーのサイズがちょうど子供の見栄えなので、便利としています。利用みると確かにそのままですよ。子供が自由に飲める水ができる、本当に便利です。カップまで離すと勝手に飲んでくれるでしょうか。マンションなどでリークが発生すると、1階の住宅ならともかく、住居は2階または3階などの場合は、階下に漏水が落ちる可能性があります。漏水の原因はさまざまですが、水道管などの劣化によるものだったのか、配水管の老化などがあります。また、お風呂のお湯を出しっぱなしにしてしまい、風呂水が部屋に流れ込み、リークが発生する場合があります。
◇炭鉱王の威信、仏壇に
◇飯塚の伊藤邸から移築
1911(明治44)年の鉄道開業、翌年の大阪−別府定期航路の開設で湯の町別府や日出に、別荘文化が一気に花開いた。麻生家や伊藤家をはじめとした福岡県筑豊地方の炭鉱主は巨大な敷地に豪邸を建て、自らの威信を現した。戦後しばらくして姿を消したものもあるが、今も当時の面影を伝える建物が数多く残っている。貴重なレトロ建築や歴史的遺物を訪ね歩いた。【祝部幹雄】
明治大正期に活躍した福岡県筑豊地方の炭鉱主で、妻白蓮の出奔事件でも知られる伊藤伝右衛門(1860〜1947年)。同県飯塚市の伊藤邸から戦後に移築された仏壇が、別府市内でひっそりと守り伝えられている。別府は出奔した白蓮と宮崎龍介との出会いの場所。因縁の湯の町に残る仏壇は、100年の時を経て絢爛(けんらん)豪華さを失わず、歴史の証人として今を生きる。
仏壇ができたのは1909(明治42)年。折上げ格天井や金色の欄間の彫刻、宮殿は精緻かつ眩(まばゆ)く、仏壇だけで4畳半、手前には12畳半の仏間もあった。64年、別府市の実業家が引き取り、自宅に伊藤邸と同じサイズの仏間を建てて移築。その際に見つかった揮ごうで制作年も分かった。
実業家の妻(91)によると、当時、伊藤邸改築にあたって仏壇が売りに出され、四国の人が購入するとの話を聞いた。実業家は伊藤家と同じ浄土真宗本願寺派の熱心な信者で、「仏壇があるうちにお参りに行こう」と飯塚へ。四国の人は見せ物にする予定で、「ならばうちで引き取って静かにお守りしたい」と申し出たという。移築後には、同派門主が入仏式を執り行った。同派関係者や信者、郷土史研究家らが訪ねてくることはあるが、一般には今も非公開だ。
妻は「毎日お参りすると、引き取って良かったと思う」。飯塚の旧伊藤邸は仏間跡を展示室として使っているという。
◇世界的権威の原点 90年経るも健在−−野口病院
JR別府駅西口から約5分、住宅地の一角に赤いとんがり屋根の洋館が姿を現す。壁には「別府 野口病院」の文字。1922(大正11)年に開院し、バセドー病や甲状腺がんの治療と研究で世界的な専門病院の原点だ。
2人の出会いが病院を生んだ。1人は野口病院初代院長、野口雄三郎(1881〜1942年)。現在の北九州市若松区の公立若松病院長を務めた。
もう1人は、若松の石炭商、佐藤慶太郎(1868〜1940年)。若松病院で手術を受けた際に野口と知り合った。
明治末に野口のドイツ留学費用を用立てた佐藤は、別府の別荘に移る際、病院開設に25万円を拠出。3分の2はX線撮影装置など最新機器に充てられた。以来、3代院長の野口志郎さん(73)まで約90年。鉄筋コンクリート新館など周囲は変われど、木造2階建ては管理棟として健在だ。
大正期、筑豊の炭鉱主らが建てた別荘は、次々と姿を消した。病院の隣にあった佐藤邸でさえも……。その中でこの建物は残せた。院長の妻で病院常務理事の凉子さん(73)は「野口家の人に、佐藤さんへの感謝があったからだろう」と話す。
斉藤泰嘉著「佐藤慶太郎伝」(石風社)によると佐藤は1940年1月、病床の野口を見舞った夜、高熱を発症。数日後、帰らぬ人となった。遺産は遺言で社会貢献事業に寄付された。
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■ことば
◇白蓮事件
1921年10月、華族柳原前光(さきみつ)の娘で大正天皇のいとこの歌人柳原白蓮(びゃくれん)=写真=が、夫で筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門に背き、社会運動家の宮崎龍介の下に出奔した事件。不倫を処罰する姦通罪があった時代で、白蓮の絶縁状が大阪朝日新聞に載ると、伝右衛門の反論が大阪毎日新聞に掲載され、大きな波紋を呼んだ。白蓮は出奔の前年、雑誌「解放」編集者として取材に訪れた龍介と別府市の伊藤別荘(通称・赤銅御殿)で出会った。龍介は中国・辛亥革命の支援者、宮崎滔天(とうてん)の長男。
6月29日朝刊
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◇精緻、絢爛豪華、時空超え−−折上げ格天井、阿弥陀如来像
◇的山荘が新装オープン
城下カレイの料亭として全国的に知られつつ、老朽化で存続が危ぶまれた日出町の的山(てきざん)荘。大正初期建立の歴史的建造物は、町が土地建物を1億2500万円で買収、食肉販売の「まるひで」が指定管理者の高級割烹として5月11日、リニューアルオープンした。
福岡県瀬高町(現みやま市)出身で杵築市山香町で馬上金山を掘り当てた成清博愛(ひろえ)が1915(大正4)年に建てた別荘。旧日出藩主の居城「暘谷城」三の丸の敷地約1万2000平方メートルに日本庭園と約800平方メートルの木造母屋を持ち、64年には孫の信輔氏が料亭として開業。皇族も多数訪れた。
料理と並ぶ魅力は、別府の市街地や高崎山を一望できる絶景や広大な日本庭園だ。まるひでの豊田俊一管理部長(56)は「座敷から眺めると、周囲をすりガラスで囲った透明ガラスの向こうにツツジや松が見える。1枚の絵画のようで『細かい所まで金がかかっている』と驚かされる」。
ランチ(3150円)▽会席(5250円〜)▽城下かれいフルコース(1万円〜)が現メニュー。「フグや関サバ・アジ、豊後牛もPRしたい。城下カレイの旬が終わる8月以降が勝負」と豊田部長は気を引き締める。
6月29日朝刊
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